1946(昭和21)年、社名を五光精機工業から「小泉産業株式会社」に変更。太平洋戦争終戦。一面の焼け野原となった大阪で再出発。戦地から戻ってきた社員たちによって始められたのは、生活用品の卸業。最初に手がけたのは、パンが焼け、米も炊ける「電熱器」。さらに繊維事業で培ったノウハウを活かし、中小製造業や町の発明家が開発した製品を新しい売り方で販売する製造卸業が本格化した。