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history

KOIZUMI 300年の歴史

1716年に商祖・小泉太兵衛が麻布の行商を始めてから約300年の間、
「三方よし」の考えのもと、社会に愛される企業として歩んできたコイズミ。
長年培ってきた技術と経験はどのように育まれてきたのか。
時代の流れを見据え、広く社会に貢献するために邁進した歴史を振り返る。

江戸 1716 - 1847

1716享保元年

商祖 小泉太兵衛
武士、百姓をやめ、麻布を担いで行商開始

小泉産業グループの「商祖」小泉太兵衛は、江戸時代中期・寛文年間に近江国五箇荘に生まれた。

武士の生まれだった太兵衛は、正徳年間に武士を捨て、農民となった。持ち前の勤勉さで農業に励んだが、入手した耕地が悪田だったこともあり、1716(享保元)年、近江の特産品である麻布を担いで諸国を巡る行商を開始。今から約300年前のことであった。

三方よし「売り手よし・買い手よし・世間よし」

この時代、精力的に他国に出かけて商った近江商人たちには、独特の商道徳があった。
売り手や特定の買い手だけでなく、地域社会への貢献を重んじる「三方よし」の理念は、現在の小泉産業グループの経営理念にも脈々と受け継がれている。

1738元文3年

六代目小泉新助
創業の地、五箇荘に「近江屋新助商店」開業

太兵衛の没後、甥・利助、利助の子・新助へと家督が継がれた。新助は五箇荘に「近江屋新助商店」を開業、麻布商としての本格的な歩みを始めた。

※「五箇荘」=ごかのしょう
現在の東近江市五箇荘地区。1955(昭和30)年、4村合併で「五箇荘(ごかしょう)村」となり、2005(平成17)年には八日市市などと合併して東近江市となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/五個荘町

1847弘化4年

京都・富小路六角に呉服・反物の店を出店

順調に事業を伸ばした「近江屋新助商店」は、1847(弘化4)年には、京都・富小路六角に店を構えるまでに至った。

16??〜1738?年

近江商人特有の商道徳「三方よし」を基本に商いに打ち込んだ商祖「太兵衛」

今から三百数十年前の寛文年間のこと。近江の国の箕作山(みつくりやま)の麓で小泉太兵衛が誕生した。誠実で、信仰心の篤い好人物であったと伝えられている。佐々木源氏の直系につながる由緒ある血筋を、彼がなぜ捨てたのか、理由はわかっていない。正徳年間に武士から農民に転身した太兵衛は、近隣に土地を買い求め、持ち前の勤勉さで米作りに励んだ。しかし、買った田は米がよく育たない悪田であり、毎年の年貢も満足に納められない。そこで太兵衛は、近江の麻布を仕入れ、播州や丹後、伊勢へと、しばしば行商に出かけるようになる。

熱心な商いによって収入が安定したことで、太兵衛は農業に見切りをつけ、商人として生きていくことを決心。そして近江商人特有の商道徳「三方よし」を基本に、商いに打ち込んでいく。太兵衛の遺した小泉家の家訓には「お得意様、お客様の信用・信頼を得ることを何事にも優先する」「投機的な仕事、濡れ手に粟の商法は厳しく戒める」など、商売に対するさまざまな信条が残されている。それらは300年を経た今も、小泉産業株式会社グループのDNAに刻み込まれている。

商売に没頭していた太兵衛だったが、晩年になって突然、出家をする。これも理由は定かではない。甥の利助を養子にし、後のことを託した彼は、諸国行脚の旅へ。6年後に帰郷し、地元に小さな寺を建て、地蔵を祀ったことがわかっている。1738(元文3)年に再び旅立ち、そして旅先で没した。没年は不明である。子孫の7代目新助が、太兵衛の恩に報いるため1887(明治20)年に五箇荘に建てた記念碑は、最後の旅に出た「1738年8月26日」を彼の命日と記している。

五箇荘・箕作山の麓にある「記恩碑」
合羽に天秤棒…太兵衛もこんな姿で旅を続けた。
近江商人が使ったさまざまな道具

明治・大正 1871 - 1915

商都大阪に出店した小さな商店、時を経てそこから小泉産業が生まれる。

1871明治4年

近代創業元年
商業の地、大阪・船場に「立木屋森之助商店」開設

「三方よし」の理念のもと、太兵衛の子孫たちは商売を拡大。1871(明治4)年には、当時の日本経済の中心であった大阪・船場に進出。現在の小泉産業本社がある備後町に「立木屋森之助商店(後の「小泉新助大阪店」)」を出店。

当社ではこの年を近代創業元年としています。

1904明治37年

同族経営者5人の出資により、「小泉合名会社」発足

1904(明治37)年、小泉新助商店は、同族経営者5人の出資によって「小泉合名会社」となる。社章のロゴ(ミツウロコ)、社是「人格の育成向上」ができる。

1915大正4年

三代目小泉重助
「小泉重助商店」発足、「特殊特徴品主義」へ

小泉合名会社は10年後に解散したが、発起人の一人であった三代目小泉重助が大阪店を引き継ぎ、1915(大正4)年、「小泉重助商店」として発足。

欧米の視察などを通じて新時代のビジネスを学んだ重助のもと、「小泉重助商店」は、独自性の高い商品を柱とする「特殊特徴品主義」を基本に、成長を遂げていった。

1879〜1945年

三代目小泉重助の経営哲学は小泉産業グループの社会的存在意義を示す「バイブル」

三代目小泉重助は、小泉グループの「実質的創始者」である。同族5人の出資で作った「小泉合名会社」が解消したのを受け、1915(大正4)年に大阪店を引き継いだ重助が始めた「小泉重助商店」が、現在の小泉産業グループにつながっている。

重助は商祖・太兵衛をほうふつとさせる「商魂の人」であったと言われる。好奇心も人一倍旺盛で、若い頃から中国やアメリカ、ヨーロッパへ渡り、各地を視察して見聞を広めた。特にアメリカでは、当時の大デパート経営者マーシャルフィールドに面会し、問屋の進むべき道について教えを請うている。このときマーシャルフィールドの語った「真の問屋は『特徴ある特殊品』によって生きなければならない」との言葉に大きな衝撃を受けた重助は、帰国後、この「特殊特徴品主義」を経営の根幹に据え、「人々の生活様式の変化に応えうる問屋」をめざしたビジネスを追求していく。

彼はよく「小泉商店は、小泉商店の製品を作ることを主題にして進んでこそ、世の中に存在する価値がある」と従業員たちに語った。その経営哲学は、現在も小泉産業グループの社会的存在意義を示す「バイブル」となっている。

大正から昭和にかけ、重助の小泉商店は着実に成長を遂げていった。1930(昭和5)年には、世界恐慌のさなかにも関わらず、新店舗を建設。地下倉庫もある3階建ての洋館で、建築費は30万円。当時の個人商店としては巨額の投資だった。

だが商売の鬼とうたわれた重助も、戦争には勝てなかった。太平洋戦争勃発後は、戦時下の統制や主力社員の徴兵などによって小泉商店の売上も伸び悩んだ。そして、1945(昭和20)年3月の大阪大空襲の日、積年の疲労によって持病の腎臓病が悪化した重助は、同年4月26日に帰らぬ人となった。享年66歳であった。

三代目 小泉重助
不況に際し、店員たちを励ますために記した小冊子
初代重助が明治時代にたてた五箇荘の小泉家本宅
店員たちが行儀作法を教わった土間づくりの炊事場

昭和(太平洋戦争前/中) 1941 - 1943

1941昭和16年

「株式会社小泉商店」に法人化

1941(昭和16)年、「小泉重助商店」は法人化し、「株式会社小泉商店」となる。
だが、この年の12月に勃発した太平洋戦争の影響で、小泉商店は繊維統制を受け、扱い商品が減り売り上げが落ちていった。

1943昭和18年

戦時下の統制を避けるために、五光精機工業を買収
「五光精機工業株式会社」設立

統制が「人」にまで及んだ戦時下、男子就業禁止令により従業員の就労が難しくなった。そのため、1943(昭和18)年にM&Aによって設立されたのが、航空機のゲージなどを製造する「五光精機工業株式会社」だった。
この時期、多くの小泉商店の従業員が五光精機の工場に従事した。

昭和(太平洋戦争後/高度成長期) 1946 - 1981

1946昭和21年

「小泉産業株式会社」に改称
電気製品をはじめとした生活用品製造卸開始

1946(昭和21)年、社名を五光精機工業から「小泉産業株式会社」に変更。太平洋戦争終戦。一面の焼け野原となった大阪で再出発。戦地から戻ってきた社員たちによって始められたのは、生活用品の卸業。最初に手がけたのは、パンが焼け、米も炊ける「電熱器」。さらに繊維事業で培ったノウハウを活かし、中小製造業や町の発明家が開発した製品を新しい売り方で販売する製造卸業が本格化した。

1957昭和32年

照明事業開始
「ヒカリ」ブランドで照明市場に本格参入

日本人の生活が少しずつ豊かになる戦後の経済復興の中、本格的に照明市場に参入。1957(昭和32)年には、「ヒカリ照明器具」のブランドで照明器具を発売。デザイン性、インテリア性など、時代の求める要素を盛り込んだ新しいコンセプトの製品を市場に送り出した。

1967昭和42年

照明のノウハウを提供
照明ショールーム開設

昭和40年代には照明を販売していただくお取引先が急増。売り場がわかりづらい照明器具に対して、販売店様を対象に「照明の売り方提案の場」としてショールームを開設。現物確認とともに売り場づくりのノウハウ、照明提案のノウハウを数多くの方々に提供した。

家具事業開始
ガスコンロ付きテーブル「晩餐」発表
家具市場へ本格参入

歴史の古い家具業界での地位を確保するために、家具専門店では扱っていない独自商品の開発への取り組みを開始。ガスコンロを組み込んだダイニングテーブル「クックテーブル晩餐」<1967(昭和42)年>、学習机の新機軸として空前の大ヒット商品となった「ライダーデスク」<1971(昭和46)年>、1年間を通じて使用できる家具調コタツ「四季の集い」<1976(昭和42)年>などを発表。「複合化発想」によるヒット商品を開発した。

1970昭和45年

照明の選定を専門的にサポートする
照明コンサルテーション開始

インテリアへの関心が高まるとともに、照明のデザインや配光のバリエーションは増え、器具の選択にも専門的なアドバイスなどが求められ始めた。小泉産業では、「照明コンサルテーション」という新たなサービス領域への挑戦を開始。

1971昭和46年

業界初!
学習机のテレビCF

学習机の新しい販売促進として、テレビCF放映がスタート。高度成長期の豊かな生活の象徴・3C(カラーテレビ<Color Television>/クーラー<Cooler>/自家用車<Car>)が飛ぶように売れた時代。新入学児童のいる家族に対するテレビCFでの訴求効果は極めて大きく、これにより、「学習机」が社会に定着・一般化した。

1972昭和47年

一目瞭然のあかり選び
照明プランボード

住宅一軒分の照明を決める際には、部屋との調和、予算、先に決めた製品との関係など検討する項目は多岐に亘る。そこでコイズミは間取り図を真中、器具を周囲に張り巡らした「照明プランボード」を制作し、それまでの経過が目に見えるようにして商談を進めることを始めた。

1973昭和48年

照明設計ノウハウを提供
ライティングアカデミー

照明は器具としての側面と、光が生み出す空間演出の両面がある。空間づくりに大きな影響を与える照明設計のノウハウを、プロの方に伝えることで照明文化の発展をめざしたコイズミ。1970(昭和45)年から続く照明コンサルテーションにより蓄積したノウハウを、セミナー形式にして提供を開始した。

1976昭和51年

光を知り尽くしたプロフェッショナルチームLCR

「空間は光が構成する」という考え方のもと、コイズミは早くから照明設計を専門に担当する部門LCR(Lighting Creative Room)を設置。商業施設やホテルなどの先進的な空間を対象に、数々の照明を提案した。照明の分野の専門知識、情報、経験、別注製作能力などが徐々にクリエイターの方々に認められ、照明設計という業務の社会的な認知が確立された。

1977昭和52年

現在までつながる環境活動
ラバーウッドの採用

生活環境の洋風化により、ダイニングテーブルの更なる普及が見込まれる頃、コイズミは本来廃材となるラバーウッドを材料として採用することを決定。工場投資を行い、資源枯渇への対応とコストダウンを両立。この動きは現在の環境活動までつながっている。

1978昭和53年

生活者視点でつくるカタログの先駆け「照明の百科」

1978(昭和53)年、講談社とのタイアップにより「照明の百科」を発刊。従来の照明関連情報は、メーカーが発行するいわゆる製品羅列型カタログが中心だった。この「照明の百科」は、製品写真はもちろん、器具タイプごとの特長や部屋別の選定ポイントなど、照明のソフトの部分を豊富に盛り込み、生活者の立場から見た照明の考え方・作り方を提言した情報誌として広く注目を浴びた。この編集コンセプトは、以降各社が作る照明カタログの先駆けにもなった。

1980昭和55年

住まいづくりをプロフェッショナルにサポート
照明プランナー

1970(昭和45)年から続く照明コンサルテーションから、住宅分野に集中したノウハウを抽出し「照明プランナー」を開発。住宅物件に対して、照明専業ならではの質の高い照明提案を開始した。

1980昭和55年

企業体質改善をめざして

全社員を集めた「テイクオフ大会」を京都国際会議場で開催。

1981昭和56年

「ニューボーン活動」始動

社員の意識改革と構造改革をめざす5カ年の「ニューボーン活動」スタート。

「商品の品質に責任を持つ体質づくり」、「企業特性を生かす販売ルート・販売方法の開発」、「事業の専門性を柱とする組織構造改革」を目標に掲げ、照明・家具・商事の各事業を分離した「3事業本部制」へ移行した。

1912年〜1976年

ブランドメーカーの道を切り拓いた新生・小泉産業の実質的創業者

立澤四郎は、三代目重助の実質的な後継者として小泉商店に迎えられた男である。重助は、長男・伊助のパートナーとして自社の将来を託せる人物を求め、知人の彦根高等商業学校(滋賀大学の前身)の校長に相談する。これに応じて校長が「この男しかいない」と推薦したのが、立澤だった。1934(昭和9)年、伊助とともに小泉商店に入社した立澤は、商売の鬼とうたわれた重助の「20年30年の経営方針を考えて、店員の教育にも注力してほしい」という想いを実践していくことになる。

終戦後の1946(昭和21)年、立澤は五光精機から社名を改めた「小泉産業」の専務に就任し、その実質的な経営のトップとなる。小泉産業が、生活用品卸業を皮切りに、照明事業、家具事業と、新分野への挑戦を次々と成し遂げていく中で、立澤は商売に対する優れた才能とあふれる情熱、そして強力なリーダーシップを発揮していった。

社是にうたわれた「人格の育成向上」こそが、企業競争力の源泉であると考えた立澤。立澤が社員に求めたのは、商人道を歩むことによって人間の値打ちを高めていくことであった。「仕事に自分の生涯をかけ、不退転の決意で挑戦できる人格を養わねば、製造卸の仕事などやれるものではない」と立澤はよく社員に語った。1952(昭和27)年からは、7年間にわたって社員寮に寝泊まりし、就業後はほとんど毎日、深夜まで社員教育に取り組んだ。自ら手書きした教育用資料は1000ページ近くにもなっていたという。

小泉産業がまさに拡大期にあった1976(昭和51)年、立澤は急死を遂げる。小泉産業の「頭脳」であり、管理職や中堅社員にとっての「おやじ」的存在であった立澤の死は、会社全体に大きな衝撃を与えた。立澤の死後、小泉産業は企業再生をかけた「ニューボーン活動」を推進し、さらにブランドメーカーとしての「新創業」に挑戦していくが、それらを成し遂げられたのは、"立澤大学"で培われた粘りや精神力、バイタリティのお陰、と語る社員は多い。

小泉伊助(4代目重助、写真右)と立澤四郎
立澤が残したB4判、約1000ページの社員教育資料
昭和20年代に売り出した新しい調理器具「石油コンロ」。電気店ルートで販売し、大ヒットした。

昭和・平成(バブル景気/崩壊) 1982 - 1991

1982昭和57年

トレーラー車を特注した動くあかりのショールーム
「ライティング・セボアール」が全国を巡回

「現物を確かめてから決めたい」という要望に応えるため、トレーラー車を改造したショールーム「ライティング・セボアール」を特注。「全国津々浦々までショールーム」という発想のもと、文字通り「動くあかりのショールーム」として全国を巡回した。

1986昭和61年

CI導入
企業イメージ刷新をめざして
照明ブランドを「コイズミ」に変更

1986(昭和61)年、企業イメージ刷新をめざしてCI活動に着手。「発信します。新しい生活」のスローガンのもと、新シンボルマークとして「ダイナミック・ウェーブ」を策定。商品や社員の意識・行動における「コイズミらしさ」を明確にし、コイズミブランドの価値を高めていくための活動を進めた。

1987昭和62年

世界の学生を対象とした照明デザインコンペ創設
「コイズミ国際学生照明デザインコンペ」

1987(昭和62)年、若き人材の育成と照明文化の普及を目的に、世界の学生を対象とした照明デザインコンペを創設。以来15年間で世界37カ国、2万人の学生が参加した。

1989平成元年

商業事業部門を小泉成器株式会社として分離
ブランドメーカーとしての体制を整備

1989(平成元)年、3事業部門のひとつ商事事業本部を分離して「小泉成器株式会社」を設立。家電製品や家庭用品を扱う卸事業と、「コイズミ」のブランドで製造・販売を行う照明・家具事業を明確に分け、「ブランドメーカー」への歩みを開始。

こうしてブランドメーカーとしての体制を整え、再出発をはかった小泉産業だったが、行く手には困難が待ち受けていた。

バブル崩壊による住宅着工件数の落ち込みや、デフレによる販売額の低下、経営コストの肥大化などを背景に、1998年、小泉産業は企業始まって以来の赤字を計上する。さらに翌99年には、販売したインバータ照明器具に不良が見つかり、多大な費用と人手を投入して市場からの自主回収を余儀なくされる。

しかしながら、この危機は、小泉産業をブランドメーカーとして一回り大きく成長させる試練となる。

不良発生によって「品質」の重要性をこれまで以上に強く認識した小泉産業は、品質保証体制の根幹となるマネジメントシステム構築をめざし、国際規格である「ISO9001」の認証取得に向けた取り組みを開始した。

そして社員全員参加による地道な活動を進めた結果、2001年、認証を取得。翌2002年には、環境マネジメントシステムの国際規格「ISO14001」も取得した。

1990平成2年

ショールームに"体感"の概念を
「コイズミライティングシアターイズム」設立

これまでのコーディネート中心の考え方とは一線を画し、ショールームに"体感"の概念を導入。納得いく器具を選んでもらうために、各種シミュレーション装置を導入。

世界トップレベルのオフィス照明メーカー「ツムトーベルスタッフ」との提携

ツムトーベルスタッフ社はオーストリアを拠点にグローバルな営業を展開する世界有数のオフィス照明メーカー。1990(平成2)年、コイズミは日本総代理店契約を締結。

1991平成3年

クセ字を学習するファックス~コンピュータ受注システム
「ACTION FACE」開発

業務のデジタル化が進む中で、受発注の効率化のために避けて通れなかったのが、「手書き文字のコンピュータ読み取り」。その解決策として主流となったのは、人が機械用の文字を書く「OCR方式」である。コイズミでは、一人ひとりのクセ字までを読み取るシステムを開発。高い読み取り精度が認められ、現在でも多くの企業に採用されている。

開発技術センター建設
専業メーカーとしての技術ベースを確立

独自の技術の研究・開発をテーマに生まれた開発技術センター。商品開発に必要な基礎応用技術を研究する技術企画室、デザインから商品化まで担う商品開発部など、ハード、ソフト4部門を設置。

商品撮影用自社スタジオ
「ビジュアル・コミュニケーション・スタジオ」開設

商品開発の最終段階となる商品撮影用として、自社スタジオを開設。3シチュエーションを同時進行できる規模と機能により、伝わりやすい商品表現の研究・実践が可能に。より高品質なビジュアルコミュニケーションが図れるようになった。

平成(社会のグローバル化/環境の時代) 1993 - 現在

1993平成5年

世界のクリエイターと環境を考える
「バードハウスプロジェクト」開始

環境問題が注目され始めた中、コイズミでは、住宅設備メーカーらしい環境活動のシンボルとして、バードハウス(鳥の巣箱)を採用。世界のクリエイターに制作を依頼し、環境保全を啓発する活動を展開。この活動は、多くの企業からも賛同を得た大型プロジェクトとして発展し、2002(平成14)年にはNPOとしての認可を受けた。

1995平成7年

メディアのデジタル化を見越して
製品データベースを構築

1995(平成7)年、コイズミでは業界に先駆け、製品のスペック情報や画像などをすべてデジタル化したデータベースを構築。カタログ制作のデジタル化を実現したのみならず、その後のWeb、動画などを活用したプロモーションシーンにおいても、他社に先んじた施策を講じることが可能となった。

住宅照明プランのIT化
ピアプランシステムを導入

完成した製品データベースを使い、照明プランの作成をIT化。従来の人手によるプラン作成に比べ、作業時間短縮、仕上りの標準化、機種変更対応の柔軟性向上などを実現。

1996平成8年

MEDIA PRESS
照明器具画像CD-ROMを供給開始

製品データベースを活用し、照明器具の画像、スペックをCD-ROMにして供給開始。建築、インテリア設備のデータベース構築をめざす凸版印刷とタイアップで実現。CD-ROMを使った商品カタログとして業界の先駆けとなる。

1997平成9年

普及率10%程度インターネット黎明期に、ホームページを開設

コイズミのホームページは、普及率10%程度というインターネット黎明期に、照明業界の中でもいち早く開設。商品情報、リクルート情報、企業情報などを掲載。

ルーメンマイクロ7
3D照度計算システムを開発

アメリカ・ライティングテクノロジー社と共同で、照度計算結果を3Dで表現できるシステムを開発。従来の照度計算は、等照度曲線などの数値を使って概念的・論理的に把握するしかなかった。3D表現であれば、空間のイメージを視覚的・感覚的に把握できるため、精度の高い照明設計が可能になった。

まずは子ども用の学習家具に安心・安全を!
「健康デスク宣言」発表

子どもが使う学習家具こそ安心・安全であるべき。その考え方にもとづいて実施したのが、「健康デスク宣言」。健康・安全・環境を考慮し、ホルムアルデヒドやダイオキシンなどへの対策などが講じられた。

世界の良質なキャラクターで、最適な学習環境を!
新事業「KID'S ROOM」開始

従来の子ども部屋「COCO」シリーズに、世界の良質キャラクターを加えた新事業「KID'S ROOM」を開始。

住宅設備や家具素材の安心・安全を
「ECO宣言」発表

シックハウス症候群に端を発し、住宅設備や家具の素材の有害性が社会問題化。コイズミでは「ECO宣言」を行い、環境、健康を基準とした家具づくり(コイズミ 健康家具)への取組みを開始。

2000平成12年

介護機器専業メーカー8社と販売提携
高齢者・介護関連事業参入

高齢社会の進展に伴って介護需要の大きな増加が予測された当時、自社の販売網を活かした新規事業として高齢者・介護関連事業への取組みを開始。パラマウントベッド(株)、(株)ケープ、日進医療器(株)など介護機器専業大手メーカー8社と販売提携。

新入学児を持つお母さんの未知と不安に応える
WEBサイト「1ねんネット」開設

お母さん方にとって、未知と不安が募る小学校入学。コイズミでは、入学用品などの基本的な情報提供のほか、お母さんたちが情報交換の場として活用できるWEBサイト「1ねんネット」を開設。開設以来の総アクセス数は15万件にのぼり、入学児童を持つお母さん方の情報源として定着した。

2001平成13年

「経営5カ年計画」スタート
社内カンパニー制導入

経済のグローバル化など、急激に変貌するビジネス環境に対応するため、「経営5カ年計画」をスタート。照明事業・家具事業では、「社内カンパニー制」を導入。同時に、全事業で「選択と集中」をスローガンに掲げ、不採算部門の撤退なども含め、「強い企業」への変身を推進した。

2001
2002平成13年〜14年

照明事業
ISO9001認証取得(2001年)
ISO14001認証取得(2002年)
品質と環境マネジメントシステム構築で
品質保証体制を強化

2001(平成13)年にISO9001を取得。2002(平成14)年には、経営戦略から製品の企画・設計、購買、営業、物流に至るすべての部門を包括して環境経営機能を認証するISO14001を取得。

2003平成15年

インターネットによる受発注システム
「WEB FACE」開発

受発注業務の簡素化と効率向上をめざして、在庫、価格問合せ、発注登録、仕様図出力依頼などが昼夜を問わずできるシステムを開発。お取引先様とインターネットでお取引先様とデータの授受ができ、従来より受発注に関する業務効率が大幅に改善した。

子どもの学習環境を充実させる家具のショールームオープン
KID`s Furniture PLAZA

成長する子どもたちの学習環境を充実させる家具を展示。専任スタッフが、お客様の要望にかなったプランを提案。

「L'ARCAEDIZION(S.P.A)」が、
コイズミ国際学生照明デザインコンペに関する特集号を発刊

建築・デザイン分野の出版社として世界的に名高いイタリアのデザイン誌「L'ARCAEDIZION(S.P.A)」が、1987(昭和62)年から開催してきたコイズミ国際学生照明デザインコンペを特集化。このコンペが世界の若い学生たちのデザイン能力向上に大きな役割を担うものであると認め、歴年の入賞作品を紹介する特集号「あかりのありか=The way of light」を編集・発刊。

2004平成16年

お客様により満足していただくために
「お客様相談室」「部品センター」「家具検査センター」設置

お客様からのお問い合わせや部品供給などに迅速に対応するため、家具専門のお客様相談室と部品センターを設置。またお客様に安心してお使いいただくために、さまざまな環境試験ができる「コイズミ家具検査センター」も設置。

2004平成16年

第1回「コイズミ学生家具デザイン展」開催

「家具のデザインを通じて、学生たちの創造性を世界に向けて発信させたい」という想いのもと、これから家具づくりに携わる人材の育成を目的としてスタート。第1回は「こどものくうかん」をテーマにして、国内外から18作品が寄せられた。

2005平成17年

健常な高齢者を対象とした
電動ベッド事業へ本格化参入

2000(平成12)年の介護保険法制定を期にスタートした介護機器事業も5年が経つ中、介護機器とは別に、健常な高齢者を対象とした電動ベッド事業を本格化。

家具事業ISO9001承認取得

省エネ・省資源・安心商品が一目でわかる
コイズミ エコプロダクツ 表示開始

独自の基準(省エネ・省資源・安心)にもとづいて評価・認定したあかりと、JIS規格「省エネラベリング制度」をクリアしたあかりを、「コイズミ エコプロダクツ(環境配慮型製品)」とし、対象製品には「エコプロダクツマーク」「省エネ性マーク」を表示する活動を開始。

2006平成18年

照明・家具両事業を分社化
小泉産業を持株会社とするグループ経営体制に移行

2006(平成18)年4月、照明・家具の2事業部門を独立分社化。すでに分社した物流や情報システム事業などの各事業会社を傘下とするグループ経営をスタート。グループ各社が事業・業界特性に応じた経営システムを構築し、それぞれの専門性を磨くことによって、価値ある商品・サービスを開発・提供していくことをめざした。
同時に、企業の社会的責任(CSR)を遂行するための体制も整備。法令順守の徹底、企業倫理の向上、社会支援活動の推進を進めた。

2007平成19年

光の本質を研究し、
あかり文化を創造する新拠点「OBAL」開設

光の本質を研究し、あかり文化を創造する新拠点「OBAL」を、東京ショールーム上層階に開設。国内外のクリエイターや異業種各社と連携し、あかりと空間の可能性を研究している。

2012平成24年

児童養護施設への「デスク寄贈活動」開始

さまざまな事情で自分の家に住めない子どもたち約3万人が暮らす児童養護施設へ、デスクの寄贈活動を開始。製品を送るだけでなく、社員が現場で子どもたちと一緒になって組み立てる。毎年20名程の社員が参加しており、爽やかな達成感と新たな気づきをもたらしている。

2013平成25年

お客様とともに課題解決をめざすイノベーションの場
LED照明提案型スタジオ「KLOS」設立

KLOS(コイズミ・ライティング・オペレーション・スタジオ)は、LED照明の最適化提案や最新技術紹介など、お客様との双方向コミュニケーションを通じて課題解決をめざすイノベーションの場。室内に入る外光をブラインドとデザインウォール(カーテン)で制御。室内の表情を変えながら施設全体で光のあり方を表現できる。

2015平成27年

KOIZUMIブランド刷新
コイズミグループブランド推進活動スタート

2015(平成27)年10月、コイズミブランドを刷新。ブランドの本質を表す新ステートメント「_違う発想がある」と、グローバルな事業展開にマッチする新しいブランドロゴを開発・発表。新しいステートメントとロゴを携え、ブランドを共有する小泉成器と連携しながら、「世界のコイズミ」をめざすブランド推進活動を開始。

2017平成29年

LEDに特化した研究開発施設
あかり文化創造拠点「コイズミ照明R&Dセンター」竣工

「あかりの杜」をコンセプトとして建設されたコイズミ照明R&Dセンターは、LEDに特化した研究開発施設。照明事業にかかわる様々な部門が連携を深めながら、開発のスピードアップを図っている。また、オフィスビル全体での「省CO2」もめざしており、その革新性が評価され、国交省「平成27年度第2回サスティナブル建築物等先導事業(省CO2先導型)」に採択された。さらには「知的生産性の向上」や「新しい働き方の開発」などのイノベーションにも取り組んでいる。

商祖・小泉太兵衛は、その家訓の中で「お得意様、お客様の信用・信頼を得ることを何事にも優先する」と残している。

コイズミの300年の歴史は、企業の社会的責任を果たすための歩みであった。

今後も小泉産業グループは、「三方よし」の精神のもと、コイズミのDNAである"新しい着眼と独自の発想"で、新たな商品やサービスの創造に励んでいく。

そして、お得意様、お客様の満足を実現しながら、広く社会に貢献していきたいと願っている。

2019平成31年

プロサッカーチームJ1
「セレッソ大阪」へのスポンサード

当グループと同じく大阪を本拠地とするセレッソ大阪をゴールドスポンサーとして応援することで、スポーツによる地域振興の一端を担います。それに連動したスタジアムへの企業ロゴ看板の設置などを通して、地域の皆さまに「より身近な」存在をめざします。
※2026年1月に終了

JR大阪駅前の大型グランドビジョンでの広報

年間約4,000万人が通行する関西最大の駅、JR大阪駅前の大型グランドビジョンで、当グループがお客様に提供できる「価値」をお知らせする動画のオンエアを開始しました。動画は、その価値を「時間」に置き換え、「生活者の毎日をステキでカイテキにするお手伝いがしたい」というグループの思いを表現した内容になっています。
※2025年3月に終了